豊臣秀吉の根来攻めの時に一旦消失してしまいましたが、その後再建され、佐野の総社とされました。
明治5年村社となり、明治41年~42年の神社合祀の際には、佐野町域にあった大小29の神社がここに合祀されました。
境内地内には、江戸時代の豪商食野家・唐金家が寄進した燈籠があります。
また、夏祭りでは、勇壮な太鼓台が宮入することも呼び物のひとつです。